こんにちは、タラさんです。
東京は蒲田の生まれ。
設楽典宏(したら のりひろ)です。
鬼コーチでした。
徹底的に鍛えました。
その甲斐あって甲子園のベスト4まで勝ち残った経験があります。
ベスト4に残った学校で最もエラーが少なかったのが密かな自慢。
日本高野連からも
「出場校中、最も高校生らしいチームであった」と
お褒めの言葉をいただいたのは最高の喜びです。
指導の原点は高校時代。
都内にあった学校は
狭い校庭に各部活動がひしめき合って練習していました。
安全対策上、スパイクは履けない。
週一回のみの打撃練習は準硬式のボールでないとだめ。
狭い校庭を軟式野球部と半分に分て使えるのが週2回のみ。
あとの日は校庭の隅っこでバント練習がいいところ。
18:30には完全下校と制約だらけの学校でした。
それでもなんとかベスト16、8に顔を出すような学校でした。
自ずと練習は工夫せざるを得ない。
短い時間を有効に使わなければならない。
この時の経験が後のち指導者になって活きてきます。
当時は強豪校、名門校、甲子園常連校が羨ましく
また名将と呼ばれた監督さんに憧れを抱き、
いつしか自分も監督になって母校を甲子園へと決心。
こうして教職を志す訳です。
一浪の末ワセダの門を叩き、歴史と伝統を肌で感じる毎日。
3年生になり新人監督(学生コーチ)に。
ここから本格的に指導者の道を歩むことに。
4年間安部球場で汗を流した日々は何にも変え難い時間でした。
神宮の杜にこだまする各校校歌、応援歌は
今でも私のソウルミュージック。
卒業後、社会科教員・野球部顧問として埼玉県内の私立高校に赴任。
以来38年間、5つの学校現場で夢を追いかけ続けました。
その間、新設校の野球部立ち上げ。
部室の火災。不祥事対応の体験もしました。
意識不明の重体から奇跡の復活をした生徒や
白血病を克服した生徒とも関わリました。
とにかく毎日毎日が生徒との闘い。
学びました。
生徒こそ先生です。
途中ご縁あって大学野球の世界に身を置いた時期もあります。
激戦、戦国東都リーグでの5年間はコーチ業が本業。
他チームの名だたる監督からは勝負の厳しさを学びました。
特に天下分け目の【入れ替え戦】は、
想定できるパターンをすべて経験させていただきました。
多分、こんな経験者はどこを探しても居ないと思います。
この時の経験が土台となり
その後の甲子園出場につながリました。
4年前、後進に道を譲り、それまでの指導の在り方を振り返るため
本格的にメンタルコーチング、カウンセリング等の勉強に励みました。
今思うことは
もう時代は新しい価値観にシフトしているということ。
「古い価値観のままの大人(指導者)が居座っていては
日本のスポーツ界を明るいものにならない」(特に野球)
と考えるようになりました。
2020年3月、定年を前に思い切って退職。
第二の人生はメンタルコーチとして起業し現在に至っております。
只今、野球に限らず色々なスポーツの選手、チームに
精力的にセミナー、講習会、個人セッション等を実施しています。
もちろん一般のかたでも相談はお受けしています。
まず大人が変わらなきゃ!
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